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大阪高等裁判所 昭和38年(ネ)431号 判決 1964年5月12日

控訴人 中道蒼生子

控訴人 足立都子

右両名訴訟代理人弁護士 奥田源次郎

控訴人 川崎ツネ

被控訴人 川崎昌平

<外三名>

右四名訴訟代理人弁護士 荒木重信

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人中道蒼生子、同足立都子の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、本訴は、被控訴人らの控訴人中道蒼生子および同川崎ツネに対する養子縁組無効確認請求と被控訴人らの控訴人足立都子および同川崎ツネに対する養子縁組無効確認請求との客観的併合事件であるところ、右各請求はいわゆる固有必要的共同訴訟に属し、共同訴訟人の一人の訴訟行為は全員の利益においてのみ効力を生じ、その一人の訴訟行為で他の共同訴訟人に不利益なものは、効力を生じないことは、民訴六三条の規定するところである。したがつて、控訴人川崎ツネは本件につきみずから控訴状を提出していないけれども、他の控訴人両名の本件各控訴は控訴人川崎ツネにも効力を生ずるものであり、又控訴人川崎ツネの本件請求原因事実を認める旨の陳述は、自白としての効力はないとはいえ(人訴一〇条)、争のないという間接事実によつて主要事実の認定がなされうる余地がある以上、共同訴訟人である他の控訴人らの否認もしくは争う趣旨の答弁とてい触する範囲において全員に不利益な訴訟行為というべきであるから、その効力を生じない。なお、本件のごとき養子縁組事件については、民訴二〇三条中の請求の認諾に関する規定の適用が排除されているから、控訴人川崎ツネの請求認諾の陳述はその効力を生ずるに由ないといわなければならない。

二、かかる見地から、控訴人ら三名に対する関係で本案につき審究するに、控訴人蒼生子、同都子の両名が大正一五年六月一〇日付で亡川崎浜太郎およびその妻の控訴人川崎ツネの養女として養子縁組の届出のなされていることは、当事者間に争のない事実に徴して認められる。そこで、控訴人両名の右養子縁組が無効であるかどうかについて、検討する。

≪証拠省略≫ を総合すると、つぎの各事実が認められる。

1、本件養子縁組届出のなされた大正一五年六月一〇日当時、養父母となつている川崎浜太郎および同ツネ間には、実子のゆき(三女、明治四二年二月一日生、本訴当時には死亡)、被控訴人礼子(四女、大正三年一月八日生)、同昌平(二男、大正六年一月五日生)、同百合子(五女、大正九年三月二七日生)、同俊子(六女、大正一二年一月一〇日生)があり、このように満一七才をかしらにして一男四女を抱える川崎浜太郎家としては、このうえ更に控訴人両名を養女に迎えなければならないような家庭上の特段の事情はなかつた。

2、大正一五年六月一〇日に本件養子縁組の届出がなされると同時に、控訴人両名の母ミサヲも前記川崎浜太郎夫婦の養女として養子縁組の届出がなされているが、それから旬日を出ない同月一四日付でミサヲは実家(近藤家。戸主重遠、父重三、母たき)の本籍地の神戸市平野矢部町五〇番地の一に分家届をなし、控訴人両名も母ミサヲの右分家にともなつて母の戸籍に入籍して、前記川崎浜太郎の戸籍から除籍され、ついで同月一七日にミサヲと右浜太郎夫婦との協議離縁届出がなされ、さらに同月二二日にはミサヲの右分家の廃家届がなされるとともに、ミサヲは実家の戸主近藤重遠の戸籍に控訴人両名を携帯して親族入籍している。ミサヲ母子の養子縁組の届出がなされて僅か十数日の間にこのように入りくんだ戸籍上の操作がなされていることは、注目に値いする。

3、ミサヲは近藤重三、同たき間の長女で、大正九年はじめ頃鎌田孝之と結婚し(ただし、婚姻届出は同年三月二四日)、控訴人蒼生子(大正九年九月七日生)、同都子(大正一四年九月一五日生)を儲けたが、都子の生後間もない大正一四年一〇月九日夫孝之に死別した。当時孝之には、母タマ、実弟の好文、季美夫、実妹の冨美子、異母兄の静三(戸主)らがあり、それぞれ独立して生計を立てていたが、ミサヲは夫孝之の死後幼い二人の遺児を抱えて生活の道を失うにいたつたので、夫孝之の四九日を済ませてからは控訴人両名を連れて実家の父近藤重三方に身を寄せていた。ところがその間に、鎌田家の右タマは近藤家に対しミサヲ母子の引取方を要望するにいたつたが、近藤家としては、控訴人両名をミサヲとともに引取ることをこばみ、又ミサヲは控訴人両名を手ばなすことを強く拒否するなどして、両家の間に右引取問題をめぐつて紛争がつづいていた。そこで、亡孝之の叔父(タマの実弟)で近藤家の戸主重遠(ミサヲの祖父)とも親しく、孝之夫婦の仲人でもあつた川崎浜太郎が右両家の間を斡旋した結果、近藤家の側で「ミサヲ母子を鎌田家の籍から直接引取ることはできないが、川崎家の籍を通してなら引取る」旨譲歩したので、川崎浜太郎は妻の控訴人ツネおよび関係者とも相談のうえ、上記のごとく、ミサヲ母子を浜太郎夫婦の養女として養子縁組の届出をした。しかし、該届出は、ミサヲ母子を近藤家に引取らせる方便としてなされたものであつたから、控訴人両名は引続きミサヲの両親の近藤重三夫婦のもとで養育せられて成人するにいたつた(もつとも、控訴人都子は、ミサヲが二ツ石勝三郎と再婚した当時未だ幼なかつたので、一時再婚先で養育を受けていたが、ミサヲが病気で入院するに及んで、近藤家に引取られた)ものであつて、川崎浜太郎の家庭に、養女として遇せられるような仕方で住んだことはなく、同人夫婦の監護養育を受けたこともなかつた。控訴人両名は幼少の頃、時に川崎家を訪ねることがあつたけれども、戸籍上の養父母の川崎浜太郎、同ツネを「おじさん」「おばさん」と呼び、控訴人らが成人するにつれて次第に川崎家との交通も途絶えるにいたつた。

≪証拠の認否省略≫

以上の事実関係を彼此総合すると、本件養子縁組は、たとえその届出自体については、当事者間に意思の一致があつたにしても、それは単に控訴人蒼生子、同都子を母ミサヲの実家である近藤重三夫婦に引取らせるための便法として名目上仮託されたにすぎず、真に養子縁組を設定する効果意思がなかつたものと認めるのが相当である。したがつて、本件養子縁組は旧民法八五一条一号に該当し、その効力を生ずるに由ないといわなければならない(最高裁、昭和二三年一二月二三日判決、民集二巻一四号四九三頁参照)。

三、したがつて、被控訴人らの本訴請求を認容した原判決は相当であつて、本件控訴はいずれも理由がないから棄却し、控訴費用の負担につき民訴九三条一項但書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 入江菊之助 判事 木下忠良 中島孝信)

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